トップ
ご挨拶
永代供養
総世寺概要
交通アクセス
総世寺の山門横にまっすぐにそびえる巨木で、樹齢は約280年と推定されます。
カヤはイチイ科の常緑樹で、総世寺のカヤの木は現在、樹高約25m、幹囲5.3m。
現在でも樹勢は旺盛で、大きく枝を広げています。
昭和49年に小田原市の天然記念物に指定されています。
また、かながわの名木100選にも選ばれています。
●天然記念物(市指定 昭和49年3月30日)
この銅鐘の由来は、、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が天下統一を果たした
小田原北条氏征伐の際、総世寺に陣を構えた羽柴中納言秀次によって寄贈されたものと
言われています。
秀次は豊臣秀吉の姉の息子ですが、後年、出家したにも関わらず
秀吉の命により、切腹させられています。
この鐘は、平成2年に県指定重要文化財に指定されています。
●市指定文化財(県指定 平成2年2月13日)
安叟(あんそう)禅師は、曹洞宗の高僧で、総世寺を開きました。この僧は、小田原大森氏信濃守頼明の子として生まれ、
初代頼春の弟、第三代憲頼・第四代氏頼の伯父にあたります。
彼は、大雄山最乗寺(南足柄市)五世の春屋宗能禅師について得度(僧になること)し、最乗寺の七哲の首座となって
同寺の十世となり、曹洞宗の発展に大きな業績をあげました。
この像は、禅師の帰依(信仰し教えに従う)者であった大森信濃守氏頼に依頼された画家が、直接禅師の姿を
写したものと伝えられています。
この像の上部にあたる讃語は、禅師が氏頼の求めに応じて書いたもので、禅師の筆勢を見ることができ、
文明3年(1471)の作品であることが分かります。
また、箱書には、慶安4年(1651)10月18日大森信濃守頼直によって修装したことが記してあります。
当時の禅師の年齢は、80歳近いにも関わらず、温容豊頬(おんようほうきょう)に描かれ、
高僧の風格がよくあらわれています。
昭和45年に小田原市の指定文化財になっています。 (※小田原市役所ホームページより転載)
●市指定文化財(市指定 昭和45年12月15日)