総世寺概要

総世寺概要

  寺名  総世寺
  山号  阿育王山
  宗派  曹洞宗
  開山  安叟宗楞
  開創  嘉吉元年(1441年)
  開基  大森氏頼
  本尊  釈迦牟尼

総世寺の成り立ち

 総世寺は、阿育王山と号し、開山は安叟宗楞禅師という方です。開基は、小田原城主 大森信濃守氏頼です。
当山四代目の忠室宗考大和尚は特に有名で、小田原北条と三浦一族の争いの中で、三浦荒次郎という武将が首をはねられ、松の木の枝に その首が引っかかり、三年間その首はくさりもせず、すごい形相でにらみつけていたそうです。

 

その時、 忠室宗考という和尚が出むいて行き、供養をし、
 ”うつつとも ゆめとも知らぬ ひと眠り
  うきよのひまをあけぼのの空”
と詠むとにわかにその首が白骨となり、地上に落ちてきたとの話です。
又、当山には小田原の役(北条攻め)の時、羽柴秀次が陣を張り、そのとき寄付したつり鐘が本堂にあります。 その他、天然記念物のカヤの大木や入口のイト杉の大木、裏の竹林等があり、恵まれた豊かなたたずまいであります。

主な歴史

開山
室町時代中期・嘉吉元年(1441年)、当時、小田原城を築城した城主・大森信濃守頼明の子・安叟宗楞禅師。
その安叟宗楞禅師が開山し、開基は、禅師の甥で小田原大森氏第四代の信濃守氏頼です。

三浦導寸
明応2年(1493年)、相模の豪族・三浦導寸義同が、義父である時高と家督相続について争った際、
一時的に総世寺に身を隠しました。義同は、総世寺で出家し道寸と号しました。

小田原攻め
天正18年(1590年)、時の関白・豊臣秀吉が全国の大名を動員し、小田原北条氏の征伐に乗り出した「小田原攻め」。
その際、秀吉の甥である羽柴中納言秀次が総世寺に陣を張りました。
秀次は総世寺に、撞鐘を寄贈しており、その撞鐘は、現在も本堂内に置かれています。